映画を見たら原作が読みたくなった。
面白かったです。
丸ごと1冊まんまを、
2時間あちこちの映画にするのはやはり無理で...
省いてたり、設定変更したりの映画本編でした。
映画も面白かったけど、
やっぱり原作のように細部まで、というのはできず、
ああ、映画は、どんぴしゃ・エッセンスが描かれていたんだなあと。
でもほら、本には文字の力があるから。
文字は平面にページに並んでるけど、
膨らむ、いくらでも、頭の中で。
読み進んでいくと、ああ好きだ。
それは言い回しだったり、
ストーリー展開だったり、人物設定だったり。
で、とても好きな箇所があって、
それは兄と弟とのある会話の中での、弟(春)が言ったコト。
※ 抜粋します ※
弟「エッシャーって知ってる?」
兄「絵描きだろう。あの騙し絵のようなやつを描く人だ」
弟「そう。版画家の。彼はさ、ラスコーの壁画を見て、面白いことを悟るんだ」
兄「(略)」
弟「『造形芸術は進化しない』って」
兄「(略)」
弟「人類は様々なことで、進化、発展をしてきただろ。科学も機械もね。
先人の教えや成果を学んで、それをさらに発展させてきた。
でもね、芸術は違う、エッシャーはそう言ったんだよ」
兄「芸術がどう違うんだ」
弟「どんな時代でも、想像力というものは先人から引き継ぐものじゃなくて、
毎回毎回、芸術家が必死になって搾り出さなくてはいけないってことだよ。
だから、芸術は進化するものではないんだ。
十年前に比べてパソコンも電話も遥かに便利になった。
進化したと言ってもいい。
でも、百年前に芸術に比べて、今の芸術が素晴らしくなってるかと言えば、
そうじゃない。科学みたいに業績を積み上げていくのとは違ってさ、
芸術家はそのたびに全力疾走をしなくてはいけないんだ。...(以下・略)」
自分が絵が好きだったことが、
確かにどっかひっかかてるかもしれない。
けど、思ったのは、
ストーリーの展開上、<芸術家>という括りで言ってるけど、
<芸術家>、つまりは<万人>じゃあないかと。
一人の人間として生きてくって、いつもゼロからのスタートだよなあと。
どんな家に生まれたとしても、
どんな親だったとしても、
どんな運命に翻弄されるとしても、
つまりは、ひとつの個の人生として始まり、
その人生はオリジナリティに溢れてる。
そりゃあ影響とか感化とかあるだろうが、
同一ではなく限りなくオリジナルに近い。
いや、使う色を選べる。
自分の責任で選べるという事を忘れないようにすれば。
ゼロスタート=オリジナルだよなあと。
で、アーティストであっても・なくても、生きてくって、
どんな長さでも情況でも、求められるのは、
想像力と全力疾走に違いないようなあと。
賢いこと、愚かなこと、感じること、痛むこと、歓喜、悲哀...
例えシェアできたとしても、丸ごと・まんま、どこの誰にも、
代わることが出来ない。
ぐぐっと現実的になるけど、
恋愛する、子供の将来を案じる、嫁姑をする、病む…etc.の次元のあれこれを、
それぞれに、『さあ!』で、万人が・万人の人生で、新たに向かい合う。
「個」であること、それは完璧にみな同じなれど。
【今日の作品】【重力ピエロ】
【今日の部員】昨日:モディ★今日:脳腫瘍 ★明日:リリー
0 件のコメント:
コメントを投稿